正解

「日本書紀」によると、天武天皇の元年(672)に勃発した壬申の乱の際、大海人皇子(天武天皇)は、奈良の吉野を離れて伊賀に入り、 鈴鹿から三重郡衙(ぐんが)(三重郡の役所)に進み、さらに朝明郡迹太川(あさけぐんとおがわ)のほとりで天照大神(あまてらすおおみかみ)に戦勝祈願したといいます。御遙拝所跡の碑が立つこの地は、まさにその場所であると推定されたところです。 この地が御遙拝所跡として昭和十六年に県指定記念物(史跡)と指定されました。
なおBは、聖武天皇東行時の蒔田の鏡ヶ池(笠取池)のいわれです,鏡ヶ池は埋め立てられて現存はしていません

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