松栄山 蓮證寺

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◆所在地:四日市市松寺3丁目−3−28

 当山は浄土真宗本願寺派(西本願寺)の寺です。阿弥陀如来が安置されている。
 口伝によれば、400年位前に現在地にお堂があり、本堂も200年位前建てられたと伝えられる古い寺です。
 昔の太平洋戦争中に供出された凡鐘も、地元の篤志家のご尽力により立派に再建された。
 また、戦争中には学童疎開で寺を利用していただいた時もある。
 山号は松栄山といい、松栄山蓮証寺と町名の松寺とは何か関係があるのではないかと思われる。尚、鐘楼は平成5年、山門は平成6年に再建された。


縁華山 観音寺

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◆所在地:四日市市大矢知町


栄林山 法従寺

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◆所在地:四日市市川北2丁目−14−7


龍王山 宝性寺   

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◆所在地:四日市市蒔田2丁目−12−26

昭和52(1977)年10月6日市指定文化財(建造物)に指定
龍王山宝性寺は、長明寺の北にあります。
この寺はもとは長明寺の西方にあったそうです。
織田信長の伊勢侵攻で焼失しましたが、その後再建されました。
 現在の建物は享保4(1719)年に創建で、一重裳階付一間向拝付けの入母屋造りの本瓦葺きであるが、裳階の関係で二重屋根のように見えている。裳階の正面柱間5間を数える組物は、身金三手裳階桧様肘木の簡素なもので、向拝には牡丹彫刻の手挾をつけており、様式は江戸時代初期から中期といわれている。


金剛山 持光寺

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◆所在地:四日市市垂坂町597

 金剛山持光寺は、浄土真宗本願寺派のお寺です。近所に垂坂山観音寺があり、あまり目立たないようですが、古いお寺です。
 文明2(1470)年に円正律師によって創建されました。本尊は阿弥陀仏です。
 梵鐘は、市内に残る梵鐘の中でも古く、寛永21(1644)年に近江国(滋賀県)の鋳物師・田中忠右衛門によって鋳造されました。


朝明山 長明寺

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◆所在地:四日市市蒔田2丁目−13−29

 朝明山長明寺は浄土真宗本願寺派のお寺です。
 創立年代、開基など不明であるが、寺誌によれば、もと真言宗潮音寺と称し、近郷の豊田村(現三重郡川越町豊田)に字長恩寺があり、この地を当寺の旧地と伝える。文明17(1485)年画像本尊を下付されたというから、この頃に真宗に改宗したのであろう。下って、慶長9(1604)年現在の寺号を、公称し、寛永元(1624)年に木仏の許可を得て寺院化したようである。のち慶安4(1651)年領主松平隱岐守より現在の寺地を賜り、翌年に寺基を移し今日に至っている。
 境内は濠と築塀がめぐり、参道正面入り口の参道橋は、旧参道橋[文化3年に築造された)の上に新しく築造されたもの、その奥に昭和初年に建立された山門が建つ山門をくぐると、正面中央に、昭和31(1956)年再建された入母屋造りの大規模な本堂がある。山門左脇に建つ鐘楼は寺誌では延宝年間(1673〜80)に建立したと伝える。
 中世には蒔田城がここにあり寺の周りには現在も城の堀が残っています。文治年間(1185-1190)の伊勢平氏残党の反乱のとき、蒔田相模守宗勝が居住していました。


垂坂山 観音寺

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◆所在地:四日市市垂坂町1266

 昭和52年3月23日市指定有形文化財(建造物)に指定。
 観音寺山門の構造形式は、一問一戸、切妻造り、本瓦葺きの一般的な四脚門であり、造営時期については、建築様式から寺伝にいう江戸時代の元禄4(1691)年頃と考えられている。
垂坂山観音寺は、慈恵大師良源が延長6(928)年に開山した天台宗寺院です。
 良源(912-985)は、近江国(滋賀県)の人で、12歳より比叡山で天台教学を学び、応和の宗論で東大寺の法蔵を論破して名をあげ、天台座主として活躍し、天台宗中興の祖といわれるようになりました。正月3日に死んだので元三大師とも呼ばれています。
 良源と当地のかかわりは、良源が大乗授戒で伊勢行脚中、右大臣藤原実方に仕えていた伊勢国朝明郡の船木良見の帰依を受けたことに始まり、それが縁となって観音寺が開山されました。
 開山当時の伽藍は立派なもので、垂坂を中心に24坊と、寺院関係の建物が鵤・茂福・東阿倉川・東坂部・山之一色・小杉・中村・平津などかなり広い地域に散在していたそうです。しかし、天正3(1575)年、織田信長家臣の滝川一益の兵火にかかり焼失してしまいました。その後、元禄4(1691)年桑名藩主松平定重がかつて奥の院のあった当地に再建しました。
 本堂は現代風の建物ですが、写真に写っている山門は、江戸時代に建てられたもので、市の指定文化財になっています。
 寺宝として、木造慈恵大師座像(国重文)はヒノキの寄木造で南北朝時代の作。絹本著色仏涅槃図(県文化財)は軸木の墨書銘から興福寺の絵所芝法目尊仲(しばほうげんそんちゅう)が30日を費やして1561(永禄4)年3月5日に完成したことがわかる。木造誕生釈迦仏立像(県文化財)、木造地蔵菩薩座像(県文化財)、木造薬師如来立像(県文化財)などが安置されています。


弘法山 田村寺

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◆所在地:四日市市西富田2丁目−5−6

 真言宗醍醐派。本尊は弘法大師。三重四国八十八カ所霊場の第5番。
 寺伝によれば、往昔に溯り平安初期の武将、坂上村田麻呂公(758〜811)が東征の砌、鈴鹿の山神の威力を得て、成就し、この松原の地に安らぎの跡を残されたと云われる。江戸時代末期(1850〜)に至り、公の霊を弔い草庵を建てたのがそもそもの当山の始まりと伝えられている。
 明治の中頃(1890〜)修行僧、大慈遍照二世の大導師が弘法大師を奉祀して共に公の霊を慰め、信者と共に厄除け大師の恩恵に浴して、大師堂を建立した。さらに真養大和尚により寺格を整え、弘法山・田村寺と称し、真言宗醍醐派に属することになった。
 寺号は田村麻呂の姓をいただいたという。
 本堂には、本尊の弘法大師と不動明王が安置されている。天井は家運隆昌を祈り、壇・信徒の家紋が奉納されている。
 境内には地蔵堂がある。
 本尊弘法大師を中心に諸行事が施行され、冬至の日に行われる「中風封じ」法要には、かぼちゃぜんざいが振る舞われ「かぼちゃ大師」の日と呼ばれ冬の風物詩となっている。


教法山 眞西寺

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◆所在地:四日市市大矢知町223


青木山 照恩寺

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◆所在地:四日市市大矢知町3664


木下山 三光寺

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◆所在地:四日市市西富田町113

 当寺院は、浄土真宗本願寺派の寺であり、山号を木下山と称し、平安時代末期、時の後鳥羽院守護職としてこの地を治めた蒔田相模守宗勝の墓碑のある寺として知られている。
 承久3(1221)年法名を祐善と号した宗勝が示寂し、時の富田郷木下にあった江戸報徳寺(真言派)の分地に埋葬された。小々孫々その菩提を弔い、十一代正了の折り、真宗八代門主蓮如上人の教理にふれ、一宇の坊舎を建立したのが、この寺院の開基と伝えられている。
 江戸徳川氏の御代(慶長11年)、長福寺の寺名をもって本願寺の末寺に列し現在地に寺院を建立するも、寺名が時の幕府に忌避され、享保2(1717)年三光寺と改名され、翌年に寺院御堂が建立された。130年後、安政大地震により破壊され、明治20(1887)年に再建されるも昭和37(1962)年の火災により焼失、現在の堂宇は昭和47年に建立されたものである。
 なお、蒔田相模守の墓があります。