若宮八幡社

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◆所在地:四日市市西富田町1037

祭神は、應神天皇、大山祗命です。境内は、903.5坪です。
当社は、元治元(1864)年に氏子相計り應神天皇を鎮め神として奉祀しました。
明治41年1月6日、境内社山神社、同稲荷社、村社若宮八幡社へ合祀の上、若宮八幡社と単称することの許可を受け、同年2月16日合祀しました。
また、祭神大山祗命については、当社創祀当社と同時代のある住民が大山祗神社(愛媛県越智郡大三島)より後神霊を拝受し、当社に収め合祀したことが大山祗神社史に見られます。


長倉神社

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◆所在地:四日市市大矢知町2730

祭神は、慶神天皇、木花之佐久夜毘賣神、大山祗命、高寵神、天照大御神、倭姫命、宇迦能御魂神です。
境内は、409坪です。
左側の写真が一の鳥居で延喜式内長倉神社参道であり、大矢知・垂坂から生桑へと進む古代の道です。
右側写真は、「北鵤神社より乾にに去ること六町余り、大矢知邑の南の山頂に座す。」訓覇(くるべ)郷の総社長倉神社の本殿。延喜式内社。もと八幡神社と称し慶神天皇を奉斎。
近世、忍藩時代には藩候自ら斎主となり祭典を行い、武運長久、御陣屋繁栄、領内安全を祈願。嘉永6(1853)年より安政・文久・元治2年迄、正月・3月・8月の17日に当社並に桜神社に代拝を行った。

◆獅子舞
 
10月に行われる長倉神社の獅子舞は、江戸時代末期、村にコレラが流行したため、疫病よけとして鈴鹿の箕田に伝わる獅子舞をまねて始められ、その後豊作祈願もかねるようになった。


立坂神社

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◆所在地:四日市市垂坂町1095

祭神は、天照大神、若宇迦能売神、大山昨命、應神天皇、です。
境内は、1171坪、境外地174坪。
垂坂山観音寺の近くにある立阪神社は延喜式内社で、神社の名前の「立阪」というのは垂坂山観音寺の「垂坂」から来たものだそうです。
創建年代は不明ですが、桑名藩主の代々の尊崇を受けてきました。
境内には大海人皇子(天武天皇)の伝説に関わりの深い米洗川を詠んだ黒沢翁満歌碑、禊川歌碑、御巫清直歌碑があります。


耳常神社

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◆所在地:四日市市下之宮町319
 
祭神は、神八井耳命、天兒屋根命、大山祗命、建御雷之男命、姫大神、神沼河耳命、斎主神です。
境内は、320坪です。
創建年代は不明ですが、延喜式内社ですのでとても古い神社です。江戸時代には春日明神と称して奉祀されていました。祭神神八井耳命の後裔の伊勢船木氏の子孫西脇氏が代々この神社の神主として守ってきました。
このあたりを下之宮町と呼んでおりますが、この耳常神社が地名の由来となっております。かつては広永町にも耳常神社がありました。広永町の神社の方を「上之宮」と呼んだのに対して、この地にある耳常神社を「下之宮」と呼んでいたそうで、広永の上之宮は明治時代に穂積神社に合祀してなくなりました。
明治41年2月に境内社山神社、字神宮の耳利神社を合祀しました。


神明社

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◆所在地:四日市市松寺3丁目−813

祭神は、豊受姫命、大山祗命です。境内は、300坪です。
明治41年8月12日、松寺字新田鎮座の無格社山神社を茶屋ノ前鎮座の村社神明社へ合祀の上、神明社と単称することを許可され、同年10月27日に合祀しました。


御厨 神明神社

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◆所在地:四日市市蒔田2丁目-12-26

祭神は、豊宇気毘賣神、慶神天皇、天兒屋根命、大山祗命です。境内は、187坪です。
当地は「勢陽五鈴遺響」に「平が垣田畝ノ間ニ民居ス魔伊多ト訓ス」又「文治建久中(1185〜1198)富田庄六箇村ノ内の一でもある」と伝える。
参道石柱に「御厨神明神社」とあるように、伊勢神宮の御厨の地に奉仕された神社である。
明治41(1908)年、大矢知村大字蒔田字古屋敷無格社山神社を合祀しました。
当社所蔵の棟がわらには「奉造替天照皇太神宮」(宝暦、天保各一枚)、「八幡大菩薩」(寛文・天保各一枚)「春日太明神」(寛文・天保各一枚)等がある。


朝明神社

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◆所在地:四日市市川北町530

祭神は、大己貴大神、大山し祗神です。境内は、170坪です。
明治40年11月30日、大字川北字田伏無格社山神社を、村社朝明神社へ合祀の上、社名を朝明神社と単称願出。明治42年4月25日合祀執行しました。